これより先の文章では、以下2人の架空人物が登場します。
【エロゲ知識がある人物(男)】
「初めまして、ただの人間という設定らしいです。
出来る限り頑張ります…が、一部私の理解不足があるかもしれません。
その際はコメントでご指摘して頂けると幸いです」
【エロゲをかじっているオタク(若い女性)】
「めんどくさー 私思ったことしかいわなーい!」
分かりやすくするために
黒文字→男
赤文字→若い女性
という感じで色分けしておきます。
設定は掴めましたでしょうか
さて二人はどんな事を話すのでしょうか?
どんな話をするか私も楽しみです。
では早速見てみましょう。
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「『陸と海』 」
「『男と女』」
「『長所と短所』」 等々…
「二項対立(dichotomy, binary opposition)」とは、「論理学で、二つの概念が矛盾又は対立の関係にあること」であり、また、「概念をそのように二分すること」(「デジタル大辞泉」)」
「『二項対立』ってむずー」
「例を上げると、上記の「」に上げた内容ですね」
「それでも分かんないー」
「という人向けに、ちょっとお話してみましょう」
「話す内容はと言うと…
数学における『集合』です」
AまたはB( A∪B)
AかつB (A∩B)
ノットAかつノットB 等々
「覚えていますでしょうか?」
「あーもうわかんない!私帰る!」
「ちょ、ちょっと待って!」
「だって、今から数学の話でしょ?」
「違う違う!
分かりやすい例で解説するから!」
「分かりやすい例って何?」
「エロゲヒロインを例にするから!」
「ふーん、で、誰?」
「まず一人目は…」
「A、三司あやせ(RIDDLE JOKER)」
「あ、パッドだ」
「そして二人目は…」
「B、フィア(天結いキャッスルマイスター)」
「この二人です」
「何となくなら知っているよ」
「それなら都合が良いですね」
では早速、この二人について、例えば「Aは女性、Bは女神」のように分かっていることを箇条書きで書いてみましょう。
「…書けた!」
「では見せてください…どれどれ」
A、三司あやせ
・女性
・学生
・ピンク色の髪
・声優が沢澤砂羽
・パッド
・あ×あ×氏のツイートネタにキモい程使われてる
「…一部偏見が混じっていますね」
B、フィア
・女性
・自称女神
・白色の髪
・声優が沢澤砂羽
・キャラがうざ(かわい)い←(かわいいは私の最大限の良心)
「…まあいいでしょう」
「ではこの中で、AとBに共通する事柄をあげてみましょう」
「んーと、『女性』と『声優が沢澤砂羽』かな」
「そうですね。この二つはAとBに共通しているので、『女性』と『声優が沢澤砂羽』はAかつB(A∩B) と表す事が出来ます」
「へえ~なんとなく分かったような…」
「では次に、Aだけに当てはまる事、Bだけに当てはまる事をあげてみましょう」
「それはさっき私が書いた『女性』『声優が沢澤砂羽』以外だよね?」
「もう一度よく考えてみましょう」
「めんどくさー」
「もう一度だけ考えて!」
「…はいはい、わかったから、うるさいな…」
「まず、髪色が違う」
「はい」
「それと…Aの三司あやせは学生であり、女神ではない」
「Bのフィアは自称女神であり、学生ではない」
「そうですね」
「Aのあやせはパッド」
「Bのフィアはパッドじゃないでしょ。たぶん」
「ですね」
「あとは……あぁあれか」
「あやせは、あ×あ×氏のネタにキモい程使われる」
「そ、それは…貴方の偏見では…?」
「だまれ! 事実だろ!」
「は、はい…」
「じゃあフィアは奴のツイートで一回でもネタにされたのか?」
「そ、それは…」
「何がエロゲインフルエンサーだ。
青バッチ付けてるならもっと色々なエロゲに触れろよ!」
「もう奴の三司あやせネタは見飽きたんだよこっちは!!!」
「…」
「あやせは、あ×あ×氏のネタにキモい程使われる」
「これはAだけに当てはまる。Bには当てはまらない」
「…分かりました」
「でも、フィアは最初からうざいね。あやせはそうでもなかった」
「…」
「フィアは沢澤砂羽が好きなオタクなら気に入ると思うよ」
「…そうですか」
「こんな感じで、あってる?」
「はい、おおよそは…」
「とにかく、整理しましょう」
「一言で言えば、A三司あやせとBフィアは”二項対立”ではありません」
「三司あやせとフィアは、『運動』と『停止』のように互いに矛盾でも対立でもありませんからね」
「…で、集合?の話って意味あった?」
「どうなんでしょう」
「あ、逃げた」
「じゃあさ、ビジュアルノベルにおける18禁ゲームと非18禁ゲームは二項対立?」
「…そう言えるかもしれませんね」
「いっこ、しつもーん!」
「は、はい、何でしょう?」
「AかつBの例で思いついたけど」
「芸能人の中には本名と芸名を分けている人がいて、名前は違うけどその人は同一人 物な訳じゃん」
「と、言いますと?」
「沢澤砂羽と桐谷…」
「違います、人違いです」
「じゃあ種z…」
「違います!!人違いです!!」
「チッ…つまんな」
「では、話を二項対立に戻しましょう」
「陸、かつ、海」
「男である、かつ、女である(ここでは身体的特徴だけで考えます)」
「矛盾したナンセンス(無意味)な命題ですね。 陸と海、男と女では意味が違いますからね」
「また、一つの概念を二分するという意味で考えてみると、
『陸と海』は地表という概念から。
『男と女』は人間の性別という概念から二分されたものです」
「なので、ビジュアルノベルにおける18禁ゲームと非18禁ゲームも二項対立と言えそうですね」
「へえ~」
一方で
「長所である、かつ、短所である」
これは必ずしもナンセンス(無意味)であるとは言えないと私は思います。
例えば
「『思い立ったらすぐ行動に移す実行力が私の長所だと思います。
…ただ、その長所のせいなのか周りからは計画性がないと言われる事も多々あります
それが短所かもしれません(苦笑)…」
「ゴミみたいな性格じゃん」
「あくまで仮定の話ですよ!」
「…という人ならば 長所である、かつ、短所である と言えるかもしれません。」
「ここら辺の話に関してですが…
私は言語学のプロではないので何とも難しいところですね」
「じゃあ話すなよ!」
「それでは、」
「無視したし!」
「キャラゲーである、かつ、シナリオゲーである」
「これは果たしてナンセンス(無意味)であり二項対立なのでしょうか?」
「そもそも、何でもかんでも二項対立的に捉えて良いものでしょうか?単に考えるのを放棄するためだけに頼っているのではないでしょうか?」
「…おもんな」
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お二方、ありがとうございました。
いやー、二人の話をそのまま書き起こしただけなので結構過激な事を言っていましたね。
当たり前ですが、これは私の意見とは異なります。
また、話の内容は完全に正確とは限りません(彼らも人間ですので)。
それと、各種団体や個人とは一切関係はありませんのでご注意ください。
さて、
ここから先は私の考えになります。
まずは「キャラゲー」と「シナリオゲー」について。
キャラゲーとは、ゲームの中でヒロインの魅力を最大限に発揮する事を目的に作られたゲームだと思っています。
このようなエロゲは、プレイヤーに恋愛模様を楽しんで欲しいという思いで作られており、そのためなら多少シナリオを犠牲にしてでも構わない(分量もありますからね)。
なので勿論キャラゲーと呼ばれる作品でもシナリオが良い作品もあります。
一方、シナリオゲーはテーマに沿って物語が進むので、ヒロインもその物語に従って動きます。
3つ程紹介します。
1、「さくらもゆ」
特出すべき世界観があり、ヒロイン達はそれに沿って行動する。世界観の説明も詳しく、まさに読ませるゲームだと思います。
2、「素晴らしき日々」
作品中高島ざくろは自殺します。このゲームに恋愛感情は中々抱きずらい(強いてあげるなら妹)ので、シナリオ重視のゲームだと私は判断します。
本作は一部ヒロインの言動が不快に感じる事もあるでしょう。でも、それも含めて人間なのです。人間の欲望的な面を包み隠さずに書かれているからこそよりリアルな恋愛模様が楽しめる。
これはシナリオゲーだと言えると思います。キャラゲーだと恋愛模様を売りにしているので、プレイヤーを喜ばせる(不快にさせない)描写がメインになりがちです。
なのでシナリオゲーとは
・世界観が特殊なゲームで、キャラはそれに沿って行動する。
プレイヤーにシナリオを読ませるよう作られたゲーム
これが大前提ですね。
そして、
・全体を通して『恋愛模様』を売りにしてないゲーム、またはヒロインやキャラの言動
に一部不快感を与えてでもシナリオに拘りたい。
これが現時点で私が考えるシナリオゲームなのかなと思います。
…と書いたはいいものの
私は先のブログの中ではただ漠然と「キャラゲー」や「シナリオゲー」という言葉を使っていました。
そもそも物語をミクロで見る私が何故「キャラゲー」や「シナリオゲー」を語る時だけ唐突に作品全体というマクロな視点で判断するのでしょう。あまりに都合が良すぎです。
せめて、「○○ルートはキャラゲーだけど、○○ルートはシナリオゲーだな」と各ルート毎に考えるべきでしょう。
結局、私は無意識のうちに「キャラゲー」と「シナリオゲー」をあたかも二項対立的に考えていたのです。
創作をしているのに、ほんとアホらしいです。
二項対立的に考えていたのはそれだけではありません。
作品に対する批評についてです。
私は創作する際、常々「批判される事を前提で創作しているんだ」という信念の元文字を打っていました。
だがそれも結局二項対立的に考えている事に過ぎません。
作品の評価は、「批判と賞賛」だけしかない。
そんなはずないですよね。
例えば批判というのは
「私はこのゲームにがっかりした、とにかく私にあわなかった。ありえないクソゲー」
だけが批判ではないでしょう(厳密には批判ではなく不評ですが…)。
「私はこのゲームにがっかりした。○○ルートの××は好きだったけど、私が一番楽しみにしていた△△ルートの▲▲という場面が全てを台無しにした。あれさえ無ければ、もしくは▲▲という場面が☆☆だったら、私はこのゲームに高評価を付けたのに」
これは批判ではなく、批評でしょう。
良いところと悪いところを論じていますからね。
そもそも「批判される事を~」と書きましたが、厳密な意味で捉えると、批判(物事に検討を加えて、判定・評価する)ではなく「不評」(評判が悪いこと、評価が低いこと)と言った方が今の私には適切だと思います。(どちらもgoo辞書より引用)
まあ何が言いたいかというと、私はアホです。
無意識のうちに言葉の意味を間違って捉えたり、二項対立的に捉えたり…
「批評を二次創作的に捉えれば、クリエイティブな営みと言えるのではないか?」
どうして私はその視点が抜け落ちていたのでしょう…
本当に、あり得ない。
あり得ないからこそ、日々勉強しなければなりません。自分を過信してはいけないのです。
私はこの世の中で一番信じられない人物は「私自身」だと思っています。
他者の言動はある程度理解出来ます。例え自分に合わない人物でもです。
でも私の言動は私でも意味不明です。
一体何度私は自分の直感的行動のせいで周りに迷惑をかけてきたのでしょう。
分かりません…分からないからこそ、やはり勉強しなければならないでしょう。後は他者と話さないといけませんね…たまには。
今の私には…それくらいしか方法が思いつきません。
では、また創作に戻ります。
でもやっぱり頭を使って考えるのは…疲れる。
(感想や意見・ご指摘等、コメントして頂けたら嬉しいです)