ロカ(と知人)の日常

美少女ゲームの批評、創作等

乙りろ脚本家は何故『赤と黒』を隠したのか?云々

 

※以下の文章は『乙女理論とその周辺』のネタバレが含まれます。全クリ後にご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

…と言ったところで本記事はマニアックの極みなのですけど。

 

 

 

 

こんにちは。この文章を書いていますのは前回に引き続き私****です。

 

今回は「エロゲはシナリオ命!ガチで私はシナリオオタクだ!」という人向けに話をします。本記事がエロゲシナリオを批評する際の参考になればと思います。

 

その前に以下のブログを見ていない人がいればまずそちらを。

 

roka-p2422.hatenablog.com

 

roka-p2422.hatenablog.com

 

 

なーーーがい。長いです。それだけリリアや華花、そして『赤と黒』は乙りろにおいて大事だったと言えるでしょう。

 

ですが、モチーフになったであろう『赤と黒』は本作においてほんの僅かしか書かれていません。

 

以下、引用です。

 

【リリアーヌ】「『赤と黒』に登場するマチルドをイメージした『愛です」

 

【リリアーヌ】「彼女の愛は苛烈かつ純情であったと私は思います。私はまだ初恋を知りませんが、だからこそまだ知らぬ恋に憧れる余地はあると思います」

 

たった三行です。何故三行しか書かれていないのでしょうか?

 

 

さてここからは、乙りろ脚本家に(空想上…そう、空想上です)ミニインタビューをしてみましょう。(うわぁナチュラルに某創始者のイタコ芸してる…コピペしているロカは今ドン引きしています

 

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「」内は筆者、《》内は脚本家(空想

 

 

「乙りろは『赤と黒』をモチーフにされていると私は感じました」

 

 《確かに、乙りろは見方によっては『赤と黒』をモチーフにした作品と言えるでしょうね》

 

「私は思うのです。何故本作で大事な役割を果たしたであろう『赤と黒』について、詳細な言及を避け隠されたのかなと。 それを隠してしまわれますと、ライターとして適切な評価がなされないと感じますが…」

 

 《前提として、あの部分は評価を求めて書いている訳ではないのです》

 

「それは私にも何となく理解出来ます」

 

 《実際、隠したのには二つ理由があります》

 《まず一つ目に、あのデザインコンペの時点でリリアーヌが悪役だと推測されかねないからです。マチルドを調べたら、相当傲慢な女だからね》

 《そして二つ目に、読者に『赤と黒』は大した物語ではないと認識させるためです。作中に登場した『赤と黒』『マチルド』だけなら、私(脚本家)が作った”架空の物語”として認識されるかもしれない。これが主人公の『ジュリアン』や作者の『スタンダール』を入れてしまうとその認識は非常に困難となります》

 《『赤と黒』のあらすじを全く説明しなかったのも、そのためです》

 

「なるほど、読者に配慮するが故だったんですね。確かに、『赤と黒』は”サブキャラ”のリリアーヌがモチーフとして使用していましたから。それを詳しく説明すると『どっちが主役なの?』って読者の方々が感じてしまいそうですよね」

 

 《購入者が第一に望んでいるのは、あくまでも『朝日(遊星)とりそなの恋愛模様であってそれ以外ではないはずです》

 

「そうですね。間違いないと思います」

 

「隠された理由は理解出来ました。ですが、ライターとしての評価はどう感じていらっしゃるのでしょうか?どのような思いで制作されたのですか?」

 

 《一番は、購入して頂いた読者の方々に楽しんで貰える事。脚本家として評価されたいと思って『赤と黒』を詳細に書いた結果、ネタバレしました…ではシャレにになりませんからね。読者の方々がそこに触れずに脚本面で不評を仰るのは織り込み済みです。それを前提に脚本を作っていますからね》

 

 《ただ、『赤と黒』について君(筆者)以外のどなたも触れないというのはちょっと以外ではありましたけど》

 

「ありがとうございます」

「私としては、自分の評価を犠牲にして制作する姿勢は”購入者ファースト”で美しいなと感じました。中々真似出来ない事ですし、充分賞賛されてしかるべきだと思います」

 

 《****さん、作品の中身を批評するのなら分かります。ですが、それを美しいなどと賞賛するのは見当違いも甚だしいですよ》

 

 

これはあくまでも空想上のインタビューです。実際のインタビューではございませんのでご注意を

 

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こうして、脚本家からは私の美しさを否定されてしまったのです。

 

それは私が未熟で傲慢だからかもしれない。

 

ですが、

 

『自身の評価を犠牲にしてまで、購入者ファーストを貫き通す』

脚本家のその姿勢を、私は自信を持って

 

 

「美しいんだ!」

 

 

と声を大にして叫びたい。

 

 

 

 

こう言うと、もしかしたらこう思う人が出てくるかもしれません

「****って批評では脚本家を肯定しかしないけど、もしかしてアンチコメントに弱いから賞賛しているだけ?」と。

 

つまり、『自分の創作物に対してアンチ的なコメントが書かれたら嫌だから、予防線を張るために賞賛しているだけなのでは?』

 

と言う事です。

 

 

お答えします。

 

【馬鹿アホ死ね、天狗になってるだけ、見る価値がない、パクリだろ?云々】

私が創作物を出したらどしどしコメントください、好き勝手書いて構いません(「お前の家族を殺す、個人情報をばらまく」といった身内に危害を及ぼしかねないコメントは然るべき処置を取らざるを得ませんが)。何より貴重な時間を割いてコメントしてくださる訳ですから尊重されて然るべきです。

 

私が何よりも恐れるのは『無関心、無視』ですので。

 

 

 

以上で長きにわたった乙りろ批評の全てを終了したいと思います。多分ロカもこれ以上書くことはないでしょう。

 

 

 

 

さてここからは批評について語りたいと思います。

 

語るにあたって、とある作品をほんの少し紹介する必要が出てきます。

それは『サクラノ刻』です。

 

 

 

 

とは言え言及するのは麗華だけですし、あらすじ等ネタバレする事は書きません。ですが念のためです。

 

 

 

 

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さて、私はロカから

 「中村麗華を地で行く人間だね(苦笑い)」

と言われました。

 

 

言われた時は「ふーん」でしたが、

調べてみると、確かに私は彼女の考えと似ているなと思います。

 

 

以下の文章ではそんな事を指摘してきたロカ宛てに(ロカ1人だけです)、そして自戒の念を込めてコメントを残しておきます。

 

非常に辛辣で本能的なコメントになります。苦手な人はここでブログを閉じてください。不快なコメントなんて見たくないという人は今すぐ閉じなさい!

 

 

 

もし興味があるという人がいれば『中村麗華』のような人間なのだと思って見て頂けると幸いです。

 

 

 

 

 

あ、その前にロカに伝言

「ロカよ、SNS上での振る舞いには気をつけろ。絶対にレスバを仕掛けるな。お前は誰よりも低脳で見下されるべき人間だという事を忘れるなよ(センター国語四十点の分際だからな)。後は対話を重視せよ」

 

 

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ロカのアレはただの趣味に過ぎない。ただ綺麗事を並べただけ。

大抵は作品を上から目線で批評し直感的に批判する者ですよ。

 

創作者志望のくせして一般人レベルの批評家でいいのか? お前はそんなコメントで満足するのか?あまりにも批評を軽視し過ぎている。

 

 

作品に対するネガティブなコメントは、どうしても直感的になりやすい。それ故に、肯定的に評価する第三者から見ると「なんで?」となってしまう。…具体例を出すか。

 

君が常々口にする「恋愛描写が足らない」とはどういう事なのか。具体的にどこまで書けば気が済むのか、言ってみろ。…具体性がない批評など、意味は無い。

 

いや、意味が無いは大げさだ。

だが”記憶に残る批評ではない”、そうだろう?

 

 「このくらいのシナリオでも感動出来るんだな」

 

上から目線極まりない発言。ならお前が作れ。このくらい以上のシナリオが作れるんだろ?さっさと作って世に出せよ。「このくらいのシナリオでも感動出来るんだな」と言ってやるからさ。

 

 

直感的でつまらないネガティブコメントによって、ライターの筆を折らせる気か…?勿論ポジティブコメントなら直感的にコメントしてもいい。

 

だが、ネガティブコメントをするならそれ相応の覚悟を持て。そうじゃないと正確に伝わらない。論理的に分かりやすく。とは言え、明らかに質の低いゲームは例外かもしれないが…それならば改善点を示せば良い、二次創作として。その作品に対するリスペクトが少しでもあるのなら、絶対に。

 

 「つまらなかった」

そうですか…以上。それで終わりなのだから。

 

 

 

 

実は私がロカから話を聞く前に、知人にあるメッセージを送りました。

 

赤く塗りつぶされた箇所は(私、俺、僕、奴のどれか)が入ります。色々推測されないようにするためです。

(この本とは当然『赤と黒』です)

批評家としては、とにかく悔しかった。

 

世界は凡庸な人間で溢れている。

『乙りろ』のアレは奴以外誰一人として触れる者はいない。

そのせいで脚本家のスタンスが変わってしまったのなら…残念でたまらないし本当に申し訳ない気持ちで一杯になる。

 

直感的にネガティブなコメントをするのなら、例え矜持を持った脚本家であってもそのようなコメントを見れば思うところはあるだろう…人間なのだから。

 

 

 

余談(であり、肝になる箇所)ですが、あのLINEを送った相手(ここではaと記します)は私の数少ない知人です。

aとは旧知の仲で、現在はプロの芸術家として活動しています。

 

 

ある時、私はワクワクを抑えきれずにaの芸術作品を今か今かと楽しみにしていました。

「今回はどんな作品かな?きっと凄いんだろうな」

 

 

しばらくして、aの芸術作品が世に発表されます。

他の観客は皆、肯定的なコメントを残していました。

 

 

ですが私はその芸術作品を見て思ったのです。

 

「これは期待外れだ」と。

 

目が悪いからではないのか。たまたま気分が優れなかっただけではないか。

でも何回見ても、感想は同じ「期待外れ」

これ以上言うとaの職業がバレそうなので言及は避けますが、とにかく強い違和感を感じたのです。

 

「aの今後のためにも、どうしても伝えたい」

創作の手を止め、これは書くしかないと思いました。

 

でも、

「もしこの批評で関係が壊れたりしたら…」

 

私も人間ですので、そう思うわけです。

 

「否定的な内容を送るのは…ちょっと怖いな」

 

だからこそ、その理由は第三者が読んでも納得出来る位論理的でなければなりません。合計二千字を費やし、その日のうちにLINEで送りつけました。

 

 

さて、”麗華を地で行っている”とロカに言われたので確認してみると

「彼女と本質は同じだな」と呆れました。

 

それと同時に、涙が溢れてきました。

 

私がaに勇気を出して「期待外れだった」と言えたこと、そして、私の批評に対してaが『全て正しい』と受け入れてくれた度量の大きさに今更ながら感動したのです。

 

aにも芸術作品を作る過程で不満があったようです。ですが、裏でどんな事があろうとも私は芸術家の責任だと思います(そんな事観客には分かりませんから)。賞賛を受けるのが芸術家なら、批判されるのも芸術家でないと釣り合いません…明確に裏方がやらかした場合は別かもしれませんが。

 

それら全てを含めた上で、aはただ一言

『全て正しい』と。

 

 

プロの芸術家って凄いな、と感じました。

 

 

私は思うのです。

 

「美しさは、発見されなければならない」

 

それと同時に

 

「醜さがあれば、それを論理的に伝えなければならない」

 

と私は言いたい。

 

論理的に、他の人に分かりやすく…です。そうすれば、ただ吐き捨てるだけの感想よりも、少しは伝わるでしょうから。

 

芸術作品において自分が美しいと思うものは、美しいと胸を張る…たとえ誰もが目を向けない美しさであったとしても、徹底的に調べあげ…そして堂々と発信すれば良い。

 

そして、醜いと思うものがあれば論理的に伝える。そこに作品以外…ましてや間柄とかは一切関係ない。醜いものは醜いと自信を持って言う!しかし、ただ醜いと言っただけでは「それってあなたの感想ですよね?」となり注目される事はない…これは美しさも同じ。だから客観的に伝わるような論理性が必要となる。

 

 

芸術家のaは最後にこう言うのです。

 『****の言うことは全て正しいし、真っ直ぐで素晴らしい感想だよ』

 

当時の私は、その言葉の意味をあまりにも軽く捉えてしまっていた。本当に「ありがと」程度です。

 

今になって思うのは、例の批評は「どうして期待外れと感じたのか」というマイナスの事しか書いていなかったので、aは内心では怒りたい気持ちもあったかもしれないという点です。

それでも素晴らしいと言ってくれた、懐の深さに私は心打たれました。

 

 

私は批評家として大事な点は二つあると思います。

それは

【論じる事が出来る”知識量”】

【美醜を伝える”勇気”】です。

それを持ち合わせるに至った私は、批評家として少しは成長したんだなと思いましたね。

 

 

さてここからは批評家ではなく、一創作者としての話です。

 

私は「期待外れの芸術がどのようなものなのか」知っています。だから愚痴を吐きたくなる気持ちも理解出来ます。今回の件は批評者として、その気持ちを身をもって実感しましたね。これは創作者としても肝に銘じておきます。

 

今一度言っておきたいのは、購入者がフツーに娯楽として楽しむのなら「つまんね」とか「クソだな」だけでも勿論構わないという事です。娯楽の批評にまで論理を求めだしたら息苦しすぎますから。

 

だがお前は違う!…あくまで今までの文章は、創作者志望のロカ宛てですからね。

 

 

 

閑話休題

 

 

私の創作者としての目標は、「新しい美を見つけ出し、提示する」事。賞賛を望んで書いてはならない。全ては面白さのために。全てを犠牲にしてでも。

 

斜陽だの言って、まだやってない事は沢山ある。ルールの限界を攻めた作品がどれだけ存在する?

 

エロゲの素晴らしさ、そしてまだ見ぬ可能性を提示したい!

常識を破壊した非常識な作品を作りたい!

 

批評家としては『脚本家と空想上でのインタビュー』という誰もやった事がないであろう批評をした(少なくともエロゲの世界では)。

 

だから今度は創作者として、誰もがやってないであろう事をやりたい!

 

 

だが非常識を作ろうにも、まずは常識を知る必要がある。

 

知識や語彙、エロシーン、日常パート云々

エロシーンなんて分からない。

(例えば一回のエロシーンで、背後から胸を揉む→正面に向けてキス→フェラ→正常位→フィニッシュなんて出来るのか。予算が分からないと難しい)

何もかも足りない。足りなさすぎる。

 

日常パートの面白さ…?分からん、研究が足りない!

 

 

ああ時間が無い、時間が惜しい!!!!

批評なんてする時間はもうない!!!!

 

これ以降、私は自身の創作に戻ります。私****が批評する事はもうないでしょう。批評はロカが適当にするんじゃない?

 

 

最後に一言、私は脚本家として自らが美しいと思ったものを創作する。そのためならどんな非常識な事でもやりたい。

 

美しさの基準?

 

そんなの

 

 

「私が美しいと感じたものは全て美しいんだよ!」